ドグラ・マグラ。この魔力的な響き。

ドグラ・マグラ。この魔力的な響き。

日本三大奇書に数えられる探偵小説、夢野久作「ドグラ・マグラ」の感想。カバーコピー曰く「本書を読破した者は、必ず一度は精神に異常を来たすと伝えられる、一大奇書」。

ある日、精神病棟で目覚めた時に記憶を失っていた主人公が自分は誰なのか探す。ってのが話の大筋なんだけど、楊貴妃の時代やら僧侶の大立ち回りやら科学論文やらと話は意図的に次々とよれまくる。表紙の絵だけをみて戦後の本かと勘違いしてたけど、けっこう古くて昭和10年に書き下ろされた本。川端康成「雪国」と同じ年。川端康成と比べるのは違うと思うが、エロ、グロ、ナンセンスとゆう言葉が頻出して、俗っぽく、アングラっぽい。そして探偵小説。やっぱり比べるとしたら江戸川乱歩なんだろうか。

主人公が記憶喪失なのに記憶喪失とゆう単語が本文中に一言も出てこない。まだ記憶喪失とゆう言葉が一般的でなかった時代の小説。話は大きく前半・中盤・後半に分けることが出来る。

前半

目覚めると精神病棟にいて記憶喪失の、そして過去に殺人を犯したらしい主人公は、わけもわからず主治医の治療方針のままに従い、その治療の過程で、どうして主人公が記憶喪失になったのか何故殺人を犯したのかとゆう問題を解決するためのヒント(伏線)が主治医から少しずつ出されてくる。

普通の小説ならこの前半で出された伏線が、後半になって生きてくるわけだが、そこは三大奇書。明らかに伏線らしきものなのに、後半になっても一切触れられないものがある。作中で主人公が見つけるドグラ・マグラという題名の本。主治医の先生は、その本は精神病の患者が書いた本だよと、読者にはあたかも主人公がその本を書いたであろう事を匂わせて、さらにその本の始まり方、内容、終わり方まで丁寧に教えてくれる。

この時、僕たち読者は作中のドグラ・マグラの始まり方と内容が、本物(現実)のドグラ・マグラをなぞってある事がわかり、もしかしたら終わり方も作中のドグラ・マグラと同じになるんじゃないか?と予想し、主人公がドグラ・マグラを書いたってのが最大のオチになるんだろうと予想する。

しかしこれ以降読み進めても、作中のドグラ・マグラには一切触れられないで、期待した最大のオチは空振りするが、本物(現実)の作品の終わり方は作中のドグラ・マグラと一致する。この奇妙な、読者に投げかけるような、作品の中で完結しない伏線、メタ伏線と呼ぶべきものが、一番印象に残る、そしてこの小説を象徴する場面。

中盤

主人公が遺言書を読んでいるとゆう設定で、キチガイ外道祭文やら何やらが古語風口語?で書かれていて非常に読みづらいし、やっと終わったと思ったら次は論文、次は活動写真、次は・・・と、話をどんどん広げていく。

胎児が原始から現在までの夢を見るとか、精神病院は狂人の収容所だとか、この時代にはかなり目新しかったであろうアイデアが盛りだくさん。ユングの影響がかなりあるらしいけど、僕には詳しくはわかりません。それとやけに隔世遺伝、しかも記憶の遺伝にこだわる。夢野久作の父親は杉山茂丸とゆうかなり有名な右よりの政治家らしくて、遺伝に執着するのに関係があるのかな、と。

後半

いくらかトリッキーに物語自体は終結します。そしてこの物語は巻末の解説にも書かれているとおり、読者に幾通りもの解釈をもたせ、様々な見解を受け入れます。

多義性。これがこの小説の本質じゃないかと。近代社会は『真実は一つ』の土台の上に成り立っているので、土台を揺るがす多義性を唱えるのはやはり狂っています。いくつものメタ伏線がこの小説に多義性を与えます。それが狂気の源なんじゃないでしょうか。

参照・参考

松岡正剛はまとめるのがうまい。
松岡正剛の千夜千冊『ドグラ・マグラ』夢野久作

記憶喪失とゆう言葉がまだ馴染みのない時代。現代ミステリーのネタの宝庫。メタフィクション。
夢野久作 『ドグラ・マグラ』 読みにくいこの長編をよんでみた 日記風雑読書きなぐり/ウェブリブログ

photo by pierre pouliquin