辻惟雄の『奇想の系譜』文庫版を読みました。1970年に出版されたこの本は、今でこそ有名になった江戸時代における表現主義的傾向の画家たち(岩佐又兵衛、狩野山雪、伊藤若冲、曽我蕭白、長沢芦雪、歌川国芳)を、異端の少数派ではなく主流の前衛芸術家として評価し、日本美術史・江戸絵画史を書き換えた。そうです。
実際この本が発表された後に、上記の画家達の展覧会が催されたりして、すごい反響だったみたいで、てゆうか、載せてある図版と解説を目にすれば、誰もが一度は実物を見たくなるようなものばかり。図版が白黒なのが残念な反面、一層本物への興味をそそります。
テレビでちらっと見ただけですが、村上隆は『スーパフラット』とゆう本で、アニメーターの金田伊功と狩野山雪の作品を、目線の動きやスピード感が似ているとして比較していました。アニメや漫画の多視覚的平面的な装飾美が、日本美術に脈々と連なる表現方法だとゆう事のようです。
以下は、奇想の系譜で取り上げられていた画家たちの作品と紹介。個人的には伊藤若沖が気に入ったのでちょっと詳しく書いています。
岩佐又兵衛
岩佐又兵衛(イワサマタベエ 1578~1650)は浮世絵又兵衛との異名を持ち、浮世絵の原型を作った人物と言われていて、描かれる絵の不気味さ、古典的伝統的なテーマを世俗化する事、人物の風変わりな描写などが特徴。
狩野山雪
狩野山雪(カノウサンセツ 1590~1651)は京狩野と言われる狩野派の外様的立場の家系の人で、宮廷から画家の名誉称号である法橋(ほっきょう)を授かったが、晩年は何かの罪で捕まって、どうやら獄中死したらしい。幾何学的で人工的な造形が特徴。
老梅図
伊藤若冲
伊藤若冲(イトウジャクチュウ 1716~1800)は裕福な商人の子に生まれるが、商売や金もうけに興味を持たず、仏教を深く信仰し肉類は口にせず、妻子も持たず、30代には家業を弟に譲り死ぬまでアトリエにこもって絵を描き続けた仙人のような人。
若いころには狩野派に弟子入りするが、当時の古画の模写を大事にする考えを軽蔑し、曰く「今のいわゆる画は、どれも画を描いたもので、物を描いたものを見たことが無い」 ((辻惟雄 『奇想の系譜』 p100)) との言葉通り”物”の観察とそのディフォルメ、高度な描画技術が特徴。
代表作「動植綵絵(どうしょくさいえ)」三十幅は、絹地に驚くほど 細密に描かれた濃彩画 ((辻惟雄 『奇想の系譜』 p101)) で、動物・植物・鉱物などを一種の無重力的拡散状態に置かれたような画面空間 ((辻惟雄 『奇想の系譜』 p110)) に描いている。現在宮内庁が三十幅すべてを保管。
下の二つ画像は「動植綵絵」30幅のうちの2枚。一番下の画像は升目描きと呼ばれるモザイク画に似た手法を使った象の絵。
曽我蕭白
曽我蕭白(ソガショウハク 1730~1781)は、数々の奇行が語り草になっている人物で、当時には忘れ去られた存在だった曽我派に直接影響を受け、原色の色使いや怪奇な表現、インパクトあるアクの強さが特徴。
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龍雲図襖(部分)
長沢芦雪
長沢芦雪(ナガサワロセツ 1754~1799)は円山応挙の弟子で、独楽なんかも得意とし多趣味多芸、人一倍自信家で傲慢、どうやら毒殺されたらしい人物。
応挙が洋画の陰影法を水墨画の手法に加味して編み出した、付立(ツケタテ 輪郭線を用いず、墨の面の片ぼかしによって、立体感を出す手法)を武器とする技法体系を習得し、その上に独自の表現を加えた ((辻惟雄 『奇想の系譜』 p190)) 。
夏目漱石の『草枕』でもとりあげられている厳島神社の「山姥図」は江戸のグロテスク絵画の傑作として定評 ((辻惟雄 『奇想の系譜』 p206)) 。
歌川国芳
歌川国芳(ウタガワクニヨシ 1797~1861)は、北斎や広重の風景画以外は低く評価されてきた江戸時代末期の浮世絵師で、西洋画や輸入物の図鑑などをコレクションしていたらしい。奇抜な構図や、洋画の影響、風刺のユーモアなどが特徴。
『みかけはこわいがとんだいい人だ』などの「工夫絵」シリーズはルネサンスの画家ジュゼッペ・アルチンボルドの流れだろうとの事 ((辻惟雄 『奇想の系譜』 p228)) 。
参考・参照・注釈
ここであげた画家たちの実際に展示をみた感想など
いづつやの文化記号: 奇想派
若冲の動植綵絵30幅が全て見れる
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