『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の感想

『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の感想

フィリップ・K・ディックの1968年の作品『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を読んだ。リドリー・スコットの映画『ブレードランナー』の原作って事でも有名。

今週は名作っぽいSFをいくつか読んだりしてる。レイ・ブラッドベリの『火星年代記』読んで、電気羊読んで、今さっき、アーサー・C・クラークの『幼年期の終り』を読み終えた。

SF小説を読むのは、わくわくしながら小学校の時に読んだコナン・ドイルの『失われた世界』以来だったりする。僕は結構、純文学とか呼ばれてる小説を好む、時代遅れの子だったので、SF小説とかには特に興味が無かった。

でも、そろそろSF読まなきゃなー、ってスノッブな大正教養主義な感じで、今読んでるわけ。しかし、名作って言われるSFはおもしろい。とゆうか、総じて悲哀に満ちてる。

『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』と、前後に読んだ、『火星年代記』や『幼年期の終り』を印象論で比べると、ブラッドベリの作品は詩的で繊細でどこか温かい感じ、クラークの作品は知的で論理的でかつ想像力に溢れる感じ、そして、ディックの作品はガジェット的でアンバランスでどこかマンガ・ライトノベル的な印象を受けた。

『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』では、ムードオルガン、フォークト=カンプフ検査法、エンパシーボックス、シドニー社のカタログなど、機械好きのオタク心をくすぐるガジェット的性質を持つアイテムがでてくる。

また、精神分析のメタファーに即配置できるような要素が多いのに、全体としての物足りなさを感じるのは、衣服や食物・家具なんかの生活的描写を消極化した、アンバランスさがあるからじゃないかな。

強敵だ、危険だ、とかさんざん言っといて、最強の敵アンドロイドとは、戦闘とゆう戦闘を行わず、主人公があっさり処理してしまう。このあたりのマンガチックなはったりの効かせ方。それにもまして、主人公は絶対に負けないだろうと確信させる、物語の予定調和が、いかにもマンガ的。

ん、てゆうか、24年組とかニューウェーブがSF好きで、その流れで少年マンガがあるのか。吾妻ひでおとディック好きそうだし。

参照・参考

photo by Katie Tegtmeyer