『アフォーダンス-新しい認知の理論』の感想

『アフォーダンス-新しい認知の理論』の感想

ジェームズ・ギブソンって心理学者の提唱した生態心理学と「アフォーダンス」の入門本を読みました。日本の心理学者、佐々木正人が書いた本です。

比較的ページ数の少ない、薄い本なんですが、内容はすごく濃い印象で、読了するのに結構時間がかかりました。アフォーダンスの事以外にも、数々の実験例を基に発想転換が示されているので、気付かされ、考えさせられる、非常におもしろい本でした。

本の概要はビデオにして語っているので、そちらも参照にして下さい。
過去記事: 記念すべきビデオブログ第1弾 『アフォーダンス-新しい認知の理論』の感想 « Retujyou どうにもならない劣情の種子を植え付けられたばかりに

アフォーダンスとは

アフォーダンス(affordance)とはafford (~を与える、~ができる) を名詞化した造語で、概念としては、環境や物体が持つ、動物や人間などの個体に依存した、客観的な可能性(価値)の情報です。

イスの例

例えば、ある一般的な一人がけの木製のイスについて考えてみます。

ぱっと見た感じ、このイスに僕は座る事ができるな、と思ったとします。そして、実際にこのイスに座れるとします。イスなので、当たり前の話ですが。

で、ギブソン的な考え方では、このイスは僕に「座る」事が可能(afford)な事を示しているわけです。そして、僕はその、「座る事が可能である」とゆう情報をソファから探索して、知覚した。だから、イスに座れると思い、僕はこのイスに座れるのです。

このように、イスが「座る」事が可能(afford)だと示している事象を、ソファーのアフォーダンスは「座る」事だと言います。

また、僕はこのイスを「運ぶ」事も、「投げる」事もできる。つまり、イスは「運ぶ」のアフォーダンスも「投げる」のアフォーダンスも持っている。すべての道具は何か特定のアフォーダンスを持つようにつくられていますが、それ以外のアフォーダンスも持ち合わせています。

個体依存

アフォーダンスは個人に依存しますが客観的な情報です。それはアフォーダンスが主観的では無いとゆう意味を強調しています。

さきほどのイスの場合、僕はイスを運んだり、投げたり出来ますが、生後何ヶ月かの赤ちゃんには、それが出来ません。つまりこのイスは、赤ちゃんに対しては、「運ぶ」「投げる」のアフォーダンスを持ちあわせていません。アフォーダンスの個人に依存します。

客観性

また、プロレスラーなら、このイスを自力で「壊す」事が可能だとします。イスはプロレスラーに対して「壊す」アフォーダンスを持っている。

だけど、僕は非力なので、イスを壊せないと思ったとします。この事は僕がそう思っただけなので、ただの僕の主観です。さらに、実際にチャレンジしてみると、なんとイスを壊せたとします。主観と事実に相違があった。

しかし、この主観と事実の相違は、イスが僕に対して「壊す」アフォーダンスを持っていなかったのが理由ではありません。事実、僕はイスを壊せたのですから、イスのアフォーダンスは「壊す」だった。アフォーダンスは客観的です。

探索

では、なぜ僕は、イスを壊せないと思ったのか?
それは、僕が、イスの「壊す」アフォーダンスを、探索して、読み取り、知覚する能力に乏しかったからです。アフォーダンスを探索する能力は、経験を積むことによって深化します。例えば、何種類かのいくつものイスを壊していくうちに、僕はイスの「壊す」アフォーダンスを探索する能力が上がる事でしょう。

アフォーダンスはつねに客観的で、イスは僕に対する「壊す」アフォーダンスを持っている。しかし、僕が壊せないと思ったのは、僕にはそのアフォーダンスを探索する事が出来なかった。とゆうわけです。

ドナルド・ノーマン

あと、注意すべきなのは、アフォーダンスを一般的に広めた認知学者のドナルド・ノーマンの言うアフォーダンスと、ギブソンの定義したアフォーダンスはまったく違うとゆう事です。

ノーマンの言うアフォーダンスは「知覚されたアフォーダンス」で、客観性をもっていません。主体によって、知覚された後、探索された後のアフォーダンスの事です。これは、ギブソンの定義と全く違うのですが、ノーマンがアフォーダンスとゆう言葉を広めたため、その誤用により混乱が起きているそうです。

参照・参考

松岡正剛の千夜千冊『アフォーダンス』 佐々木正人

ノーマンとギブソンのアフォーダンスの違い
fladdict.net blog: アフォーダンスってなんザンス?

photo by Orin Optiglot