金原ひとみ 『アッシュベイビー』 の感想

金原ひとみ 『アッシュベイビー』 の感想

金原ひとみの第2作目『アッシュベイビー』をハードカバーで読みました。ハンス・ベルメール(Hans Bellmer)の球体関節人形のカバー写真がいい感じ。初出は2004年。

金原ひとみの場所

ペドフィリア、動物虐待、セックス、自傷行為とベタな現代文学的なテーマをとりいれてますが、前作の『蛇にピアス』と同様にそのベタなテーマはインターフェースに過ぎず、主題は恋愛とゆう小説です。

この小説は過激な表現が話題になったみたいで、マンコ・チンコって百回ぐらい叫んでるのを聞いた様な読後感があります。

村上龍はその昔セックスや暴力やドラッグ自体を主題にした小説を書きました(今もかな?)が、金原ひとみは村上龍や花村萬月とかのその路線とは、やはり一線を画してる様に思います。

そうゆう意味では金原ひとみはどちらかと言うと少女漫画的な、岡崎京子や内田春菊のような、すごく個人的な自己愛の恋愛小説だとゆう印象です。逆に村上や花村はもっと全体的で現代の社会そのものを主題にしてるように思います。

ナンセンスな告白のシーン

この小説で一番興味深かったのはP136〜P137(ハードカバー)の、ナンセンスな告白のシーン。これは個人的な自己愛と恋愛の主題を浮き彫りにしてる場面だと思いますが、初めて読んだ時はかなり笑えたそのシーンの一部を引用してみます。

引用の前にそのシーンの背景を。
女主人公のキャバ嬢「アヤ」が想いをよせる男性、「村野」さんを自宅のマンションの部屋の前に見つけます。「村野」さんは「アヤ」のルームメイトでペドフィリアの「ホクト」の上司で、無断欠勤の続く「ホクト」の様子を伺いに訪ねた来たのでした。

「・・・お久しぶりです」
「え、ああ、お久しぶりです」
「とても久しぶりですね」
「ああ、そうだ、すみません。ずっと連絡しようと思ってたんですけど、忙しくて」
そうなんですか、と言いながらこらえきれないほどの胸の高揚に腹を立てた。どうして、どうしてこんなにも私を待たせていた男に会ってどうしてこんなに嬉しいんだ。くそ、これが彼じゃなかったらなぶり殺したいところなのに。
「何か、インターホン鳴らしても反応ないんですけど」
「ああ、留守だと思います」
「そうですか。何か他に仕事始めたりしたんですか?」
「ああ、まだみたいですよ。好きです」
「じゃあ、遊びにでも行ってるんですかね」
「好きです。ああ、そうじゃないですか?」
「待ってたりしたら迷惑ですかね?」
「好きなんですけど、もしかしたら今日は帰って来ないかもしれないし、あの、とりあえずどっかご飯でも食べに行きませんか?」
本当は今すぐに部屋に上げてセックスしたかったけど、ホクトがいないとしても赤ん坊はいるだろうし、ホクトがいて、あの狂人ぶりを見せつけられとも引くだろうし、どっちにしても部屋には上げられない。くそ、こんな事ならホクトとルームシェアなんてするんじゃなかった。男を連れ込めない部屋なんて部屋じゃない、物置だ。赤ん坊の段ボールハウスの方がまだましかもしれない。

引用元:金原ひとみ 『アッシュベイビー』P136〜P137

「好きです」って言葉が文脈とは関係なく会話に入り込んできて、小説全体で見てもこの場面は異様な雰囲気を持っています。この直後のイタリアレストランでの会話でも「好きです」が脈絡もなく入り込んで来ます。そして、この「好きです」に対する相手の反応が全くない事が、主人公が想いを寄せる相手に殺されたい願望を持つ理由へと展開されます。

僕はこの展開とそこで表現される感情、表現する言葉の使い方がかなり好きで、この場面を読むまでは在り来たりだなって思ってたこの小説に対する認識が一気に変化しました。

作者のこの小説に対するインタビューを読んでも、作者が表現したかった事はこのあたりなんだろうと思います。

虫・聴覚

あと、これは僕の個人的な感想なんですが、この作品の全体の印象として、どうも身体感覚のある部分が抜け落ちてる感じがあります。特に聴覚の部分。これは僕の主観の多分に感覚的なものなので、作者の資質や作品本来から隔たってるかもしれませんが、どうもそんな
気がします。

そして、この聴覚の欠落は昆虫や爬虫類がほぼ登場しない事と関係があるような気がします。作品の最後の方には比喩として、トンボやバッタが出てきますが、作者の力量のわりにあまりに典型的なレベルです。

この感覚が理解されるかどうかわかりませんが、もっと昆虫や爬虫類を登場させ、もっと詳細に記述すればいい作品だったのにと思います。

参照・参考

アッシュベイビー出版にあたってのインタビュー

金原ひとみが好きな小説家とか
作家の読書道:第30回 金原ひとみ

photo by Hans Bellmer