舞城王太郎『九十九十九』 感想

舞城王太郎『九十九十九』 感想

舞城王太郎の小説『九十九十九』読んだ。これかなりおもしろい。おすすめ。

東浩紀の『ゲーム的リアリズムの誕生』に『九十九十九』批評が書かれてて、その批評を読んでおもしろそうだなーと思って『九十九十九』読んだら、予想以上におもしろかった。

『九十九十九』はミステリ作家清涼院流水の小説シリーズ「JDCシリーズ」の登場人物「九十九 十九(つくも じゅうく)」を主人公とした作品。主人公の名探偵九十九十九がサングラスを外すとあまりの美しさにみんな奇絶してしまうとゆうような、「JDCシリーズ」の設定を借りて作られている。

文体

狙いすぎの感もある変態的な擬音・擬態や、”〜”と”ー”を多用する現代風の会話文が特徴的。あと、低レベルの印象論なんだけど、文体からは優しさと現実離れのとぼけた感じを受け取った。この感じを文章読んで受け取るのは初めてで、なんか良いよ、これは。

ちょっと文章を引用してみる。主人公は本当の自分自身と向き合うために、彼の頭の中の空想でしかない家族達を捨てようと答えを出した直後、主人公(九十九十九)の僕が、その空想の妻の有紀と、空想の三つ子(寛大、誠実、正直)と一緒にお風呂に入るシーン。

「もー。狭いよー」と有紀が言って笑う。三つ子がふざけて僕たちの浸かっている浴槽に飛び込んできて、全員湯船から出られなくなる。「出られないよ〜」と有紀が言って笑うと三つ子も真似して「出られないよ〜」「出られないよ〜」と唄って笑う。「お父さんは知恵の輪得意なんだぞー」と僕は言って寛大と誠実と正直の手足をほどいていく。順番に体を洗って頭を洗う。僕は有紀の体と頭も洗ってやる。「あーお母さん大人なのに洗ってもらってるー」と誠実が言うと、有紀は言う。「いいんだよー大人でも。好きな人に洗ってもらうんならねー」。すると寛大と誠実と正直が口々に「お父さんお母さんのこと好きなの?」「お母さんお父さん好きなの?」「どれくらい好きなの」などと訊く。

引用元: 舞城王太郎『九十九十九』 p591

この文章は個人的にかなり好きで、特に「知恵の輪得意なんだぞー」って言う所が好き。

このシーンのちょっと前には、壮絶に有紀の首がブチ切れて、それを気合いでくっつけ直して生き返らせてってゆう、笑ってしまうような奇跡のシーンがあって、それからダジャレで空想の家族を捨てる事を決心して、この家族団欒のシーンになる。この文脈とゆうか、物語の流れも好きだ。

構造

あと、東浩紀の評論で詳しく書かれているけど、清涼院から譲り受けた過剰な言葉遊び(ダジャレ)と、事件を解決する方法や手段自体を推理するメタ的な推理、1話進むごとに一つ前の話が小説内小説として描かれるかなり凝った構造なども、この『九十九十九』って作品の特徴。

東浩紀はの評論で『九十九十九』は「シナリオをリセットするごとに新しいプレイヤーが新しい視点キャラクターをともなって参加してくる、特殊なオンタイン・アドベンチャーゲームに見立てて読む事が出来る」と書いている。 ((『ゲーム的リアリズムの誕生』東浩紀 P272))

『九十九十九』は全7話で成り立ってるんだけど、その話数の順番が1・2・3・5・4・7・6となっていて、最終的には主人公が3人になる。これは主人公が5話と7話でタイムスリップし、その度に主人公が分裂してるため。詳しくは東浩紀が評論ですごくわかりやすく解説してくれてる。

参考・参照

photo by((brian))