ミゾケン『山椒大夫』を見た感想

ミゾケン『山椒大夫』を見た感想

溝口健二監督の1954年、ベネチア国際映画祭で銀獅子賞を受賞した『山椒大夫』。日本を代表する映画カメラマン宮川一夫とのコンビの作品で、原作は森鴎外。脚本の依田義賢は、スターウォーズのヨーダのモデルになったとゆうエピソードが有名。しかしこのエピソード、Wikipediaを見ると真偽のほどは怪しいようだ。

『山椒大夫』予告編

あらすじ

平安時代、貴族の母玉木と幼い兄妹厨子王・安寿は、左遷された父に遇いに行く旅の途中に人買いにさらわれ離れ離れになる。厨子王と安寿は山椒大夫とゆう俗悪な荘園領主に奴卑として売られ、玉木は佐渡で遊女となる。

成長した厨子王と安寿は荘園から脱出しようとする。厨子王は、山椒大夫に反発し家を出た息子の僧侶に助けられうまく脱出するが、逃げきれないと悟った安寿は入水自殺する。

厨子王は都に上り関白に直訴し、奴卑から一転国守となるが、父の死を知る。国守となった厨子王は奴隷解放の法を強引につくり、山椒大夫の荘園でむごい仕打ちをうける奴卑達を解放し、山椒大夫を捕らえると、その職を辞任してしまう。

元の汚い身なりとなった厨子王は、母に遇いに佐渡にわたり、盲目となった母と感動の再会を果たす。

感想

まず、舞台美術が美しい。この時代の大監督が撮る映画のセットはかなり金がかかってるはず。山椒大夫の屋敷の造りや荘園、衣装はかなりこだわってるし、だいたいエキストラの数からして多い。馬もいっぱい。

宮川一夫のカメラワークで、物語の起伏とは別に、特に印象に残った場面が三つある。そのうち二つは上の予告編でも部分的に見れる。

一つ目は父に会いに行く旅の途中、四人がススキの合間を縫うように歩く場面。いい感じに風が吹いてススキが靡き、日本の中世的な美しさと物語の行く手に潜む不安が画面から滲んでくる。

二つ目は、僧侶に扮した厨子王が都を望む山を降る場面。この単純に見えるカメラワークの躍動感はやばい。カメラクレーンが動き出すタイミングといい、山の斜面との角度といい、思わず唸り声を上げてしまった。これを撮るのに何テイク費やしたのだろうか。まさに溝口健二×宮川一夫。

三つ目は予告編では見れない、ラストの浜辺の長回し。アフレコと思われる厨子王と漁夫の会話の後、どこからともなく歌が聞こえてきて、その声に向かって歩く厨子王が母を見つける場面。小屋の位置が非常に良い。ただ動画として取り出しただけでも素晴らしいカットを、物語のクライマックスにもってくる溝口健二の力量には圧巻。

出演俳優は皆うまかった。特に香川京子(安寿)は画面に写っているだけで華があった。グッと観客を引き寄せるので、入水自殺のシーンがより一層際立つ。

幼い厨子王をあの津川雅彦(加藤雅彦)が演じてたのを知ってびっくりした。

ただ、主演の花柳喜章(厨子王)は、歌舞伎の女形特有の上擦るゆうな発声の仕方や演技がどうも好きになれなかった。当時の欧人はどのようにこの演技を見たのだろうか。奴卑解放の時の長ゼリフが聞き取りにくく迫力にかけると感じた。人間国宝、花柳章太郎の息子らしい。

物語は、奴卑解放の風刺的ヒューマニズムを日本的仏教的情緒的な母子愛が包みこんでいる。主眼は日本的お涙ちょうだいの母子愛にあるのだろう。

国守となった厨子王が発する「上司の命に背くのか」とゆうセリフが風刺的ヒューマニズムを象徴してると思う。平安時代の国守は絶対に「上司の命に・・・」などとは言わないはずだ。

幼い厨子王→安寿→厨子王と、観客の感情を移入させやすい主人公を順に以降させながら見せていき、風刺的ヒューマニズムをつくっていく。しかし、最後の締めは、田中絹代演じる母玉木との再会であり、日本的もしくは仏教的な愛のかたちを見せたかったのかなと思う。