分析力、洞察力。しかし、音が足りない。宇野常寛『ゼロ年代の想像力』の感想

分析力、洞察力。しかし、音が足りない。宇野常寛『ゼロ年代の想像力』の感想

半年ほど前からブログなどで話題になってた『ゼロ年代の想像力』読みました。東浩紀や宮台真司を批判してより前に進もうとゆう意志を持つ、様々なサブカルチャー作品をとりあげて鋭い分析と洞察で時代のモードを解説・指南する評論本。

概要

著者のおおまかな論旨を拾ってみる。

  • 90年代の『エヴァンゲリオン』(1995) に代表される「ひきこもり系」を母性のディストピアと批判。
  • その派生であり、かつて東浩紀が擁護 (?) した『AIR』(2000) など「セカイ系」を安全に痛いレイプ・ファンタジー、家父長制的なマチズモと批判。『オトナ帝国の逆襲』(2001)、『ALWAYS』(2005) などの昭和ノスタルジーも同様に安全に痛いパフォーマンス的自己反省だ。
  • 00年代に興隆を高めた『バアトルロワイヤル』(1999) 、『DEATH NOTE』(2003) 、『コードギアス 反逆のルルーシュ』(2006) など「サヴァイヴ系」決断主義。「〜である・〜ではない」とゆう自己像(キャラクター)承認の問題から、「〜する・〜した」とゆう自己実現の問題へ。決断主義が持つ、他者を排除する暴力性を批判。
  • 宮藤官九郎、木皿泉のドラマ及びよしながふみの漫画作品にポスト決断主義をみる

と、こんな感じ。

感想

素直にすごい分析力・洞察力だと思った。ゼロ年代はサヴァイブ系決断主義の時代だって思わされたし、一連の仮面ライダー作品に対する解説・批評は読み物としておもしろかった。東浩紀のエロゲー解説と同様の力、仮面ライダー見なきゃいけないなと思わせる力があった。

ポスト決断主義についても、著者は今の時代の生き方を真摯に見つけ出そうとしていて、言われてみれば個人的にも色々思い当たるフシがあるような。

ただ、「ヒット作品を解説してそこに時代性を見る」ってゆうこの類の社会学的 (?) 評論全般は、どうしても擬似科学な眉唾モノに思えてしまう。そこにはどうしても主観性・恣意性が介在してくる。もちろん著者もそれには自覚的で、出きるだけ広範囲にアンテナを張り巡らして、議論を進めようとするのだけど。

宮崎駿の扱いの少なさに不満が残った。「自然との共存」とか「環境問題」「ロハス」みたいな大きな流れを無視して現代を語れるの?っていう不満。原ッパみたいな所で野転んでマリファナ吸いながら「ピースだな」とか言ってる人達を、サーフィンしたり川にテント張って釣りしたり野外フェステバルで「まじピースだぁ」とか言ってる人達を無視していいの?ってう不満が残る。

宮台の『サブカルチャー神話解体』は日本の流行音楽を分析してるのが面白かった。宮台や宮沢章夫の『ノイズ文化論』『80年代地下文化論』なんかは、今で言う「ピース」の人達も視野に入れてたんだなと思った。宇野常寛には音が足りないんじゃないかなと。

参考・参照

おもしろかった『ゼロ年代の想像力』書評

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