世界一うまそうなカボチャ。J・M・クッツェー『マイケル・K』

世界一うまそうなカボチャ。J・M・クッツェー『マイケル・K』

ブッカー賞を二度、ノーベル文学賞を受賞している南アフリカの作家、J・M・クッツェー『マイケル・K』を読みました。

アパルトヘイト下の南アフリカ、少し頭が悪く生まれつき唇裂け上がっている主人公Kは、内戦のため暴動だらけのケープタウンから逃げ出し、病を患いどうやら意地の悪いらしい母をお手製の大きな乳母車に乗せて、母の約束の地である田舎町プリンスアルバートまでの長い道のりを目指すが、頭の悪いKはケープタウンからプリンスアルバートまでの距離すら把握しておらず、盲目的に乳母車を押しながら徒歩で何日も歩き、遂に衰弱しきった母は死んでしまうが、怠惰と受動の哲学とでも言うべき社会性から乖離した世界観を持つ主人公Kは、それでいてとにかく地道に何かを実践しようと一人プリンスアルバートに辿り着き、母の思い出の家らしき空家を発見しそこに遺骨を撒きます。

おもしろいのは、母の遺骨を撒いた空家が十中八九、母の思い出の家では無いと主人公Kは自覚しておきながら、何故かその自覚を打ち消して妄想的にその家に固執しているかのよう読める部分で、Kは何かの象徴的な雰囲気のある家のそばの貯水池と親しみ、現実を彷徨い、家と貯水池の間を彷徨い、仏教の香りさえするKの達観は自然・土着回帰への執着を備えていて、金のなくなったKは虫や草の根を食べながら、穴を掘ってそこに暮らし、人に見つからないように夜中に起きてはふくろうの目と狼の嗅覚を会得し、種から毎日貯水池の水をやって深遠なるカボチャを育て収穫し、世界一うまそう、ほんとうに世界一うまそうに食べます。

ここがこの小説のハイライトでした。

至福のカボチャに、もしくはカボチャ的なものに一度到達したKは、しかし、草や土ばっかり食べていたおかげで胃が限りなく小さくなっており、収穫したカボチャをまるまる腐らしてしまいます。

そうこうする間に兵士に見つかって反乱軍扱いされて衰弱しきって骨と皮だけのKは、診療所のような所にいれられ、その診療所のドクターが第二部の語り手で、Kが客観的に分析され、Kは怠惰と受動の哲学とでも言うべき社会性から乖離した世界観をもつ特異な男であると規程されます。

今、この上の文を書いて気が付きましたが、この第二部でドクターによって語られるKの印象に、僕が読書して抱いたKに対する印象が支配されています。僕が第一部を読んだ時点でのKは、怠惰と受動の哲学とでも言うべき社会性から乖離した世界観をもつ男でもなんでも無く、もっとあやふやで首をかしげたくなるただの男でした。

診療所での診療を拒否するKは日に日に衰弱していき、もう死ぬんじゃないかとかって瀬戸際になって、診療所を抜けだし、道端で知り合った野盗グループの中の女にフェラチオされて、この部分がこの小説で唯一の性的場面で、そして小説は終わります。

美麗的な修辞の少ない簡潔な深みのある文章でした。

1983年出版。

参考・参照

photo by vida de vidro