雅と俗で分けてみる。小西甚一『日本文学史』の感想

雅と俗で分けてみる。小西甚一『日本文学史』の感想

ドナルド・キーンベタボメの小西甚一『日本文学史』。小谷野敦によれば (( ドナルド・キーン何をした - 猫を償うに猫をもってせよ)) 小西甚一は日本文学者の中ではかなりの異端児だったらしく、92年には集大成というべき『日本文藝史』全五巻を一人で完成させており、これは細分化の進む文学史研究においてはなかなか達成できない仕事だそうで(他はドナルド・キーンぐらいのようだ)、本書の枝葉では催馬楽なる古代歌謡に文藝を見出したり ((小西甚一『日本文学史』P46)) 、13〜16世紀の禅僧が詠った漢詩五山文学について言及していたり ((小西甚一『日本文学史』P128)) 、慈円『愚管抄』の批判精神を、道元『正法眼蔵』の独創性を空前絶後と讃えたり ((小西甚一『日本文学史』P104)) と視座は広く、日本美術史を一人で書いた「奇想」の辻惟雄とどこか似た資質があるような思いもし、古代から現代までの日本文学を「完成」の「雅」と「無限」の「俗」で二分する力業を繰り出している。

永遠なるものへの憧れは、北極と南極のように、ふたつの極をもつ。そのひとつは「完成」であり、他のひとつは無限である。いま、これを藝術の世界について考えると、完成の極にむかうものは、それ以上どうしようもないところまで磨きあげられた高さをめざすのに対し、無限の極におもむくものは、どうなってゆくかわからない動きを含む。わたしは、前者を「雅」、後者を「俗」とよぶことにしている。
引用元:小西甚一『日本文学史』P16> 西洋では、ギリシァ人以来、精神と自然との間に深い切断が存在するのであって、両者が融合統一の状態において表現されるのは、ゲェテあたりが最初であると。しかもゲェテにおいてさえ、両者はおのずから統合されているのではなく、意識的に統合するための緊張が見られ、そこに精神対自然の両極性が投影する。東洋でも、シナの文学は、精神と自然をひどく隔離させている。シナには神話というべきものは無いのだが、古代歌謡におぴて、自然を詠じたものも、まったく存在しない。譬喩として自然が現れることは有るけれど、譬喩は、比較による表現だから、自然への態度は、どうしても知的であり、客観的である。すなわち、精神が自然の外に立ち外側から自然を眺めようとするわけであって、その間に距離がある。
引用元:小西甚一『日本文学史』P31

日本における表現の世代を古代・中世・近代の三つの時代に分け、5世紀ごろから8世紀ごろまでの古代を「俗」、9世紀から19世紀中頃までの中世を「雅」、19世紀後半以降の近代を「俗」が表現意識の中核をなした時代であるとし、 ((小西甚一『日本文学史P18)) また、古代は「日本」的、中世は「シナ(中国)」的、近世は「西洋」的な表現理念が支配的であった時代だと大まかに分類していて ((小西甚一『日本文学史P20)) 、ここで述べられる「俗」と「雅」は日常的な用法とはニュアンスが違い、「俗」とは無限・独創の事、「雅」とは完成・洗練の事であって、さらに、「日本的」とは精神的主体が客観化されていない人間と自然の融合で、「シナ的」とは華麗であり、深さであり、類型であり、幽玄であり、逃避精神であって、「西洋的」とは表現者と享受者の切断であり個人でありオリジナリティであり混沌である。

とゆうような、ほんとうにがっしりとした石造りの家のような、土台的骨組みが小西甚一にはまずあって、その上に築かれる個々の表現者や作品についての解説はぐわっと多角的に広がり、そんな風に書かれたら源氏物語も松尾芭蕉も西行も道元も、さらに俊成も定家も読まずにはいられないよ、能も浄瑠璃も体験したくてうずうずしてきます、みたいな、それにまた、「俗」であり「西洋的」である現代 (近代) を生きている者達の感性は、この日本史書の前では「古代」「日本的」「中世」「シナ的」と並べ比べられて相対化されるしかなく、個人主義な独自性を作品に求めたりするオリジナリティとかって標語は虚しく響くだけ、なんか現代の日本におけるモードを客観的に把握出来た (ような気にさせてくれる) 本でした。

1953年出版の再版。巻末の年表索引が秀逸です。

参考・参照

日本文藝史〜小西甚一さんの死去〜 - Kz Page blog

松岡正剛の千夜千冊『日本文学史』小西甚一

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